2026.4.13
仲西森奈『ホームページ』刊行記念イベント「記憶みたいな千葉をめぐって──市川、船橋、幕張、松戸──」にご来場くださったみなさま&配信で聴いてくださったみなさま、ありがとうございました! 仲西さんと鉄腸さんと(そして会場のかたがたと)濃い千葉の話ができてとてもたのしかったです。言いそびれたことやあとあと考えたことなど、忘れないうちに(メモ書き程度に)残しておこうと思います。
まず、「千葉」を語ろうとしたときに”路線”という区分がマストになってくるということ、そしてその路線によって「どこまでを千葉と感じるか」あるいは「どこからを東京として異質なものと捉えるか」が変わってくるということだ。総武線沿線の仲西さん、鉄腸さんは三鷹や吉祥寺のほうを千葉の延長的にとらえていたが、わたしにはその感覚はいっさいなく、むしろ京成線ユーザーだった頃の経験から、そのポジションには上野がいる。また、京葉線沿いに引っ越したいまでは、なにをするにもまず一度終点である東京駅に出てから乗り換えるというのが定番になっており、東京と千葉をシームレスに飛び越えてゆくような感覚はあまりない。わりと派手に江戸川を越える景色が車窓に広がるというのもあって、「ここまでは千葉」「ここからは東京」を正確に区分けする感覚が、日々の通勤通学で植えつけられてゆく——この感覚こそが京葉線を日々使うという営為なのかもしれない。
それと同時にわたしにとって総武線こそが〈千葉的なるもの〉の本質であり、京葉線をまがいものとしてとらえていることも自覚した。第一に京葉線沿いは歴史の浅い埋立地であるし、ディズニーや幕張メッセ、ららアリーナがあるためにひとびとが住まい暮らす街というよりは、外からひとがやってくる土地である。だから、千葉に生きる者の生活が根づいた感じがしないのだ。総武線沿いをたまに訪れると、古くから受け継がれてきたであろう生活のにおいにくらくらする。とはいえ近年では海浜幕張や南船橋に(タワー)マンションがどんどん建てられており、生活の場所としての京葉線沿線の土台もつくられはじめていっているように思う。とくに南船橋は、マンションとららアリーナがかなり密接な位置に建てられているため、ハレとケがかき混ぜられた土地になっている。ららぽーと内のロピアは近隣住民がふだんの買いものに訪れるいっぽうで、ららアリーナでのライブの前後にららぽーとを散策する観光客的なかれらも通りがかる場所である。海浜幕張や舞浜以上に、日常と非日常が入り混じる場所として、南船橋は(まがいものとしての)千葉を語るうえでの鍵となってくるのではないか。
今回のイベントおよびその後のツイッターでも話題にあがった千葉県内での屈指のターミナル駅こと西船橋駅だが、京葉線と西船をつなぐのは武蔵野線に乗り換える南船橋駅である。最寄駅が西船だった時代、そして西船の日能研に毎日通っていた時代もあるが、いまとなっては南船橋で乗り換えないと行けない場所になっている(その乗換がなんとも面倒で時間がかかる!)。語られるべきは〈西船〉、そしてわたしが語るべきは西船に向かうべく乗り換える〈南船橋〉なのかもしれない、と思う。そういえばららぽーとTOKYO-BAYには最近コメダができました。とてもうれしいです。
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犬の近くにいて、話しかけつづけた結果難聴ぎみだった犬の耳はすっかりよくなってしまったという話を、男がしている。保坂和志『プレーンソング』は、そういう他愛もない会話が、特段なにかの伏線になるわけでもなく、ただ会話が会話としてそこにあり、淡々と時間が進んでゆく。なぜ保坂を読み返しているのかといえば、「カラちゃんとシトーさんと、」というドラマに保坂っぽさを見いだしたからで、だらだらと流れる会話のなかで唐突に〈真理〉みたいなものをつかみかけて、その手を離してしまうような話っぷりが保坂らしかったのだ。このドラマではサウナがだいすきなシトーさんを松田元太が演じている。明るいながらも思いやりにみち、他人には見せない薄闇を抱えているのが『たべっ子どうぶつ THE MOVIE』のらいおんくんのようで、シトーさんにらいおんくんを重ねながら見ている(シトーさんの声の感じ、らいおんくんの発声に似ているし!)。いや、そうじゃなくて、松田元太の話はいったん置いておいて
、保坂である。犬の耳が治ったのはなぜか。
こういう話というのは、耳が遠くなったことと話しかけてあげることでそれが治ったことのあいだに一見因果関係があるようにも感じられるが、ある種の人たちにはただのでっち上げがホラ話としか聞こえないだろう。本当以外の何物でもないような本当というのでもないし、作り話やフィクションという枠組みに守られてその中で面白がればそれでいいという話とも違っていて、信じてしまう人間だけが信じてしまう、それはもう事実性からどうこういう話なのではなくて、話す側と聞く側の意思だけで意味とかあるいは意味に近い何かを与えていく話で、ぼくはそういう話がすごく好きなのだ。
——保坂和志『プレーンソング』(中公文庫、2000)p.233
わたしにとっての「こういう話」といえば、わたしは地震を起こすボタンをもっているという迷信である。東日本大震災やそのあとにつづいた余震では、その揺れが起こるまえ必ずわたしはピアノを弾いていた。ピアノの鍵盤がボタンだった。2024年の元旦、石川での地震が起こる直前にはわたしはしょうもないテキストを打ちこみ、「ツイート」を押した。「ツイート」がボタンだった。幾度となくこの「地震のボタン」の話は書いてきたけれども、24年に書いたであろうものを引用する。
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震災の加害者であるところのわたしは、ほとんど震災そのものであって、不条理にひとびとの命を奪い、分断し、渦巻いた混乱に乗じて嘘の情報を垂れ流す人間まで生みだして、何事もない日常を送る人間に罪悪感を植えつけ、そうやって生活を崩していった。マンネリ化した日常にちょっとした変化を、そんな心の機微だったのかもしれない。思えば東日本大震災だってわたしだったのだ。わたしがピアノの蓋をひらいて「エリーゼのために」の一音目を弾いたしゅんかんに揺れが起こった。わたしがボタンを押したのだ。今回も2024年1月1日午後4時9分に投稿したのは「なんかもう2024年飽きた」だった。投稿するボタンが今回の地震を起こすボタンだったのだ。かれがフィクションを読むという行為を通じて地震への祈りと呪いを捧げても、かれが復興に向かうしかない能登の近くで大江を読み暮らしていても、無知なわたしの軽率な想像によって物語と共存する日常はまるでフィクションのような現実に呑みこまれる。
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いまの若者、いわゆるZ世代はこの手の話をでっちあげやホラ話として受けとめず、むしろ因果関係を感じる傾向にあるのではないか。直接友人に話したことはないけれども、そういう気がしていて、というのも、この世代は「スピってる」ことに対してニュートラルであったり、むしろ積極的に「スピ活」など行っていることもあるからだ。竹田ダニエルは『世界と私のA to Z』のなかでアメリカのZ世代でもスピリチュアルなものが流行っていると書いた——「世の中の全てのことの答えが既に導かれているようにも感じられる現代において、言葉や理屈では説明できない不思議な体験をすることこそ「生きる意味」だと言っても過言ではないほど、ワクワクした感覚を与えてくれる」。最速で正当にたどり着くことが求められる現代において、スピリチュアルなものは「小さな幸せ」として機能する。
「言葉や理屈では説明できない不思議な体験」はべつに、大きな事件がなくとも発生するだろう。たとえば竹田が挙げるようなヨガや瞑想といったみずからの身体および精神と向き合う時間は、言語化しえない感覚をもたらす。四六時中インターネットに接続しているわたし(たち)は気づかぬうちに身体感覚を失っており、なにも感じられなくなっている。ちょうどそういうことを考えているときに済東鉄腸のこんな文章を読んだ。
ここじゃトイレ関連に話を絞るが、例えば排尿する時にペニスを持ったり、うんこした後にお尻を拭くとかみたいな行為に関して、下らないだとか汚いだとか思うんでなく、自分の肉体をきちんと大事にしようという思いながらやっていきたいんだよ。これは俺自身の尊厳に触れる行為なんだと。 この「いいタッチ」ってのはそのまま看るひいては看己につながるのではないかと、今はそう感じている。
——済東鉄腸『クソッタレな俺をマシにするための生活革命』(左右社、2024)p.139-140
「いいタッチ」を心がけること、それは自分の肌と物質とのあいだに”関係”と”意味”を付与することで、難聴の犬の話を信じて聴くことと近しいのかもしれない。
人生は実績解除の連続で、(5・7・5)
人生は実績解除の連続なので、生まれて初めてのゴンチャに挑戦。パールが売りきれていました。パールのないゴンチャはゴンチャといえるのか。代わりに入れたミニパールはカエルのたまごだった。
心にイチジクの汁を注げ。
刻がその中で
巴旦杏のような死者を想いつづけている心に
イチジクの汁を。海の息吹きの中の、嶮しく切りたった、
こわされた、
額、
額の姉妹である断崖。そしてきみの白髪の数だけ、
夏の日を受けた雲の羊毛は
増える。——パウル・ツェラン「追憶」『閾から閾へ』飯吉光夫訳(思潮社、1990)p.80
読んだもの
保坂和志『プレーンソング』(中公文庫、2000)
済東鉄腸『クソッタレな俺をマシにするための生活革命』(左右社、2024)
仲西森奈『名付けたものどもを追う道筋を歩きながら、』(さりげなく、2024)
見たもの
アンソニー・シム『Riceboy ライスボーイ』(2022、カナダ、117分)
マシャ・シリンスキ『落下音』(2025、ドイツ、155分)
ジョシュ・サフディ『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』(2025、アメリカ、149分)
長久允『炎上』(2026、日本、103分)
「晩餐ブルース Special」(テレ東、2026)
「彩香ちゃんは弘子先輩に恋してる」(毎日放送、2024)
聴いていたもの
INI - Pineapple Juice
INI - All 4 U
INI - True Love
星街すいせい - もうどうなってもいいや
はしメロ - パレット
書いたもの
【おすすめマンガ手帖】『君となら恋をしてみても』
【おすすめマンガ手帖】『きたない君がいちばんかわいい』
📩:sapphicalien.dr@gmail.com
